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東日本大震災から10年 -発生時はベトナムも支援-

津波で打ち上げられた観光船が屋根にのった岩手県大槌町の建物Ⓒ毎日新聞社resize
2021年03月08日

By KOKORO(毎日新聞社+VAIJ主催、在ベトナム日本国大使館など後援)

2011年3月11日の日本時間午後2時46分、宮城県沖約130キロメートル付近を震源とする大地震「東日本大震災」が発生しました。皆さんはその時どこにいましたか?
【毎日新聞・藤田裕伸】

沿岸地域は壊滅

地震のマグニチュードは9.0で、発生から30分後には東北地方の太平洋岸に大津波が押し寄せました。岩手県、宮城県、福島県では津波の高さが8~9メートルに達し、岩手県大船渡市では最大遡上高が40.1メートルを記録。最大で海岸から6キロメートルの内陸まで浸水し、沿岸地域では建物が流されて町が壊滅するなど甚大な被害をもたらしました。警察庁と復興庁によると、関連死を含め約1万9600人が死亡し、いまだに2500人以上の行方が分かっていません。

未曾有の大災害によって、被災地に住む人の暮らしと営みが奪われたあの日から今年3月11日で10年がたちました。

ベトナム政府から義援金

大震災を受け当時のベトナム政府はいち早く、グエン・タン・ズン首相とグエン・フー・チョン書記長が日本に対して哀悼の意を表明。さらに災害支援を申し出て、被災地に20万ドル(約1642万円)の義援金を贈りました。ベトナムをはじめ各国から届いた義援金は被災者支援に役立てられました。被災地で不足していた食料のほか衣料や寝具、生活用品などの物資、仮設住宅建設などです。

原発事故

ご存じのとおり、津波の影響で東京電力の福島第一原子力発電所で炉心溶融(メルトダウン)などの放射性物質を放出する原子力事故が起きました。炉内燃料のほぼ全量が熔解して大気中に膨大な量の放射性物質が放出され、警戒区域となった周辺の市町村から10万人以上の住民が避難しました。

当時ベトナムでは、著しい経済成長に対応するための電力を確保する方策として原子力発電所建設が計画されていました。ベトナムと日本の両政府は前年の2010年、日本への原発発注を事実上合意しており、原発事故を受けてベトナム政府は日本にその原因を解明することを求めました。

10年が経過して被災地復興はかなり進み、日本政府は地震・津波被災地の災害復旧のほか住宅再建や区画整理など「まちづくり」に関わる事業はほぼ完了したとしています。しかし、原発事故の影響は今も続いています。一部の地域が避難指示区域に指定されており、2020年12月8日時点で4万2000人以上が全国各地に避難しています。事故を起こした原発の廃炉作業は最長で40年以上かかるとされており、周辺に住んでいた人たちが故郷に帰る日はまだ遠い先です。

復興は道半ば

日本政府が多額の費用を投じて復旧に取り組んできた結果、震災から10年が経って被災地の街やインフラ、住民の生活は正常にもどりつつあります。しかし、家族を亡くした遺族の心の傷はなかなか癒えません。津波に流されて行方不明となった家族を探し続けている人もいますし、最愛の家族の死を受け入れられずかつての自分を取り戻せないまま思い悩んでいる人もいます。さらに、新型コロナウイルスの感染拡大の影響による行動制限などで二重の苦しみを感じている人も多いでしょう。

100年に1度と言われる歴史的災害の東日本大震災。本当の意味での復興は道半ばです。引き続き支援が必要な被災地と被災者のことを忘れず、これからも心を寄せていきたいですね。

参考写真:津波の1年前の街並みと津波直後の街並み ©️毎日新聞社〈いずれも宮城県南三陸町で2010年2月と2011年3月〉

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