わたしの体験

vol55_img_ava_24_3_2021
By KOKORO(毎日新聞社+VAIJ主催、在ベトナム日本国大使館など後援)

今回の先輩 

Nguyễn Bá Phước(グエン・バー・フック)さん
  • 2012年 焼肉櫻(さくら)正社員〈ハノイ〉
  • 2012年  短大の調理師学科卒業〈タイグエン県〉
  • 2013年  日本語教室入学〈ハノイ〉
  • 2015年  訪日、日本語学校入学〈北海道〉
  • 2016年  調理師専門学校入学〈北海道〉
  • 2018年  専門学校卒業、ホテル入社〈北海道〉
  • 2020年  新型コロナの影響で料亭への就職取り消し〈東京〉
  • 2020年  寿司店や料亭でアルバイト〈東京〉

〈1992年生まれ、ハノイ近郊のソンタイ市出身〉

ベトナムと日本の両国で調理師資格を取り、日本料理の外国人調理師として最高位の「ゴールド」レベルに認定されたフックさん。短期間で日本語力を高めたノウハウや日本での留学生活を紹介する。

ゴールドの日本食調理師に

「ゴールド」に認定〈2021年〉

日本政府が定めた「海外における日本料理の調理技能認定制度」が2016年に始まりました。日本での調理師経験とコンテストでの成績で認定を受けられます。ゴールド、シルバー、ブロンズの3レベルがあり、ゴールドの外国人は世界で18人だけですが、私は2021年3月、ベトナム人で初めてゴールドに認定されました。また、私は2021年4月に「ベトナム人調理師協会」を設立します。在日ベトナム人調理師が情報交換をしたり、ベトナム料理を普及したり、調理師を目指すベトナム人留学生のサポートをしたりするグループを目指しています。それでは、私の留学生活について紹介します。

ベトナムの調理師資格取得

短大での実習と当時の私の料理

私の実家では主に父が料理を作っていたので、私も中学生のころから手伝うようになりました。その後、志望大学の受験に失敗したとき、父から「得意な料理を勉強してはどうか」と助言されました。よく考えた末、調理師コースのある短期大学に進み、ベトナムの調理師資格を取りました。

短大在学中はハノイの「焼肉櫻(さくら)」で働きました。最初は洗い場や清掃だけでしたが、少しずつ調理の下準備や盛り付けもさせてもらえるようになりました。短大卒業の4カ月前に正社員になり、やがて鍋やスープの調理も担当しました。正社員になってからは2年間勤務しました。

本物の日本食との出会い

和食が2013年にユネスコの無形文化遺産に登録され、和食の特集番組がたくさん放送されました。「和食」とは日本の伝統料理で、「日本食」は外国の料理をアレンジしたものも含みます。私はテレビ番組をきっかけに和食の魅力について調べ、和食や日本食への興味が深まっていきました。

そんなある日、ハノイの日系ホテルで日本食のイベントがあり、参加しました。そこで出された日本食は、私がそれまでに経験した料理とは味も盛り付けも全く違い、衝撃を受けました。私は本物の日本食を作れるようになりたいと思い、日本留学を考えました。先に日本に留学した「櫻」の先輩の影響もありました。私は当時、安定した収入を得ていたので、家族は留学に反対しましたが、最後は両親がお金を出してくれました。

留学ビザ不許可

私が学んだ日本語教室の仲間と先生〈ハノイで2013年〉

私は「櫻」を退職して留学準備を始めました。留学あっせん会社の日本語教室に通い、3カ月で日本語能力試験(JLPT)N5に合格しました。同社に支払ったのは約100万円。内訳は日本の日本語学校の入学金と1年間の授業料(約70万円)、日本での半年間の寮費(12万円)、在留資格申請の手数料やハノイの日本語教室の授業料などでした。

ところが、在留資格申請が不許可となり、予定していた2014年7月からの留学はできませんでした。私はそれでもあきらめず、日本語をもっと勉強したうえで、半年後に再トライしようと決心しました。アルバイトをしながら勉強を続け、同じ年にN3に合格。その後、別の日本語教室で初級コースの教師をしながら留学準備を続けました。

日本語学習の工夫

リスニングの練習に使ったインターネットラジオ番組

私は2015年4月に留学を始めるまでの1年半、N3を取得したほか、実生活で日本語を使う努力も重ねました。このため、留学先の日本語学校では、最初から2年目の人が受けるコースに入り、1年で卒業できました。卒業までに通常は2年かかるので、1年分の留学費用を節約できました。

留学前は、毎日3時間以上、机の前に座る習慣をつけました。 そして、日本語教室の授業を先取りして勉強したので、授業が復習になりました。自分に便利なように分類した単語や文法のノートも作りました。また、「みんなの日本語」以外に「新完全マスター」シリーズも使いました。

◇私が日本語を学ぶ際に工夫したこと◇

インターネットラジオのニュース
毎晩20分、インターネットラジオの日本語ニュースを聴きました。音声のスピードを調整できます。最初はまったく聞き取れませんでしたが、半年後に少し聞き取れるようになりました。これは日本に行ってからも続けました。
日本人の友人をつくる
勤務先での同僚の日本人留学生に日本語会話の練習相手になってもらいました。また、その人の紹介で他の日本人留学生とも知り合い、日本語で交流しました。
聴いた日本語をまねる
日本人の日本語を聞き、聞き取れた言葉をまねました。「お疲れさまです」「ありがとうございました」など簡単な言葉から始めました。
覚えた言葉を使う(アルバイト)
N3取得後に3カ月間、日本人客の多いホテルでもアルバイトをしました。フロントやレストランで接客をしたり、客同士の会話に耳を傾けたり、日本人客に話しかけたりしました。
覚えた言葉を使う(人に教える)
N3取得後に7カ月間、日本語教室で教師をしました。教えることで自分の復習にもなりました。
日本語の簡単な歌を覚える
「大きな古時計」などを日本語で覚え、くり返し歌いました。
携帯電話の言語を日本語に(訪日後)
訪日後はなるべく日本語だけの環境にするように努力しました。例えば、携帯電話の使用言語も日本語に変えました。何度かベトナム語に戻そうとしましたが、携帯電話画面の日本語が難しいので戻せませんでした。携帯電話を使うたびに日本語の勉強になりました。

「櫻」での仕事(奥が私)

日本語教室のスタッフ仲間。教えることで自分も復習。

2回目の申請で留学許可

北海道函館市で過ごした日々

留学の在留資格を最初に申請した際は東京の日本語学校に行くことにしていましたが、2回目の申請では北海道にしました。1度不許可になった人への審査は厳しいと聞き、東京より留学希望者が少なく審査に通りやすいと聞いた地域の中から選んだのです。また、最初の申請では姉の銀行口座の記録を提出しましたが、姉が若いので信用されなかったのかも知れないと思い、2回目は祖父の口座記録を提出しました。こうして、今度は在留許可が出ました。

訪日後はすぐにアルバイトを探しました。自転車で和食店を探し、アルバイト募集のはり紙を見つけて電話をかけました。日本語を少し話せたこともあり、5件目で採用されました。また、ウェブサイトで別の求人も見つけ、採用されました。1店には半年間、もう1店には1年間勤務し、たくさんの日本料理に接しました。 ベトナム人仲間とも仲良くしてもらいましたが、日本語力を高めるため、アルバイト先の日本人たちとの交流を心がけました。

◇私の家計簿(1カ月の平均)

※日本語学校1年目の家計簿

※100円=21,167 VND(2021年3月9日現在)

vol55_img12_17_3_2021
収入(合計 約90,000円)
アルバイト2件(和食店)

90,000円

支出(合計 約68,000円)
家賃(寮)

25,000円

※一人暮らし(ワンルーム)

水道・光熱費

3,000円

※水道・電気・ガスの合計

携帯電話

5,000円

※インターネット+通話

食費

20,000円

※主に自炊

雑費

15,000円

※生活雑貨、食事会など

差額・貯金(平均 約22,000円)

※これ以外に授業料650,000円(1年分)は両親が負担

※夏休みのアルバイトは1カ月120,000円ぐらい

日本語学校→専門学校

調理師学校の新年カードで私たちが紹介されました

私は留学後、大きな問題に直面しました。それは、調理師専門学校の学費が高いことでした。私が調べたところ、一番安い学校で1年間の学費が140万円で、ここに諸費用(包丁や食材など)約25万円が加わります。このため、調理師以外の専門学校や大学も検討しました。そんなときに休暇で帰国し、留学あっせん会社代表に相談すると、北海道室蘭市の調理師学校が留学生受け入れを始めるにあたり、学費無料の特待生も募集すると教えてくれました。ちょうど同校の担当者が出張でハノイに来ており、代表は私を彼に会わせてくれました。

私は特待生の試験を受けて合格し、室蘭市の北斗文化学園インターナショナル調理技術専門学校に入学しました。同校で日本人と同じ授業を受ける初の留学生で 特待生として2年間の学費が免除されました(ほかに学費半額免除や無利子奨学金の制度もあります) 同校では、授業の専門用語が難しいうえ、先生の話すスピードも日本語学校の先生より早口でした。授業時間も日本語学校の2倍の90分ありました こうした苦労はありましたが、授業の予習をするなどして乗り切り、卒業前に日本の調理師資格を取得しました。

就職、転職、新型コロナ

北海道のホテルでの仕事

調理師学校の2年間は、地元のホテルで調理スタッフのアルバイトをしました。また、2年生のときに登別グランドホテル(北海道)で2週間実習をしたのをきっかけに総料理長から声をかけていただき、卒業後にこのホテル(和食課)に就職しました。2018年から2年間、ここでさまざまな勉強をさせていただきました。

私は日本で働くのは約5年間と決めていたので、総料理長にも相談し、東京でも働いてみることにしました。そして、2020年に東京の料亭に就職が内定しましたが、障害が起こります。新型コロナの感染拡大で来客が急減したため、内定が取り消されたのです。私は東京の寿司店などでアルバイトをしてしのぎました。

今後はベトナムで活動

東京の料亭で修行。奥は冨澤浩一・総料理長(日本食普及の親善大使の1人)〈2021年〉

その後、東京の別の料亭に就職が決まりましたが、最近、状況が変わりました。ベトナムの伯父が亡くなり、子どもたち(いとこ)をサポートする人が必要になったのです。また、 ベトナムの大手飲食チェーンから私に日本食顧問のポストも提示されました そこで、私は今年半ばに帰国することにしました。今は、就職を予定していた料亭で修行をしています。

帰国したら、日本料理の基本をふまえたベトナム人向けの日本料理を作ります。本来の日本料理のまま出せるものはそのまま出し、ベトナム人向けにアレンジした方がよいものは、ベトナムの食材や調味料も使ってアレンジします。日本料理とベトナム料理の両方を本格的に学んだことやベトナム人の味覚を持っていることが私の強みです。それらを生かした料理を提供していきたいと思います。

北海道のホテルでまぐろの解体〈2019年〉

親友が経営するバインミーシンチャオの特別顧問に〈2020年〉

今回の先輩 

Nguyễn Bá Phước(グエン・バー・フック)さん
  • 2012年 焼肉櫻(さくら)正社員〈ハノイ〉
  • 2012年  短大の調理師学科卒業〈タイグエン県〉
  • 2013年  日本語教室入学〈ハノイ〉
  • 2015年  訪日、日本語学校入学〈北海道〉
  • 2016年  調理師専門学校入学〈北海道〉
  • 2018年  専門学校卒業、ホテル入社〈北海道〉
  • 2020年  新型コロナの影響で料亭への就職取り消し〈東京〉
  • 2020年  寿司店や料亭でアルバイト〈東京〉

〈1992年生まれ、ハノイ近郊のソンタイ市出身〉

ベトナムと日本の両国で調理師資格を取り、日本料理の外国人調理師として最高位の「ゴールド」レベルに認定されたフックさん。短期間で日本語力を高めたノウハウや日本での留学生活を紹介する。

ゴールドの日本食調理師に

日本政府が定めた「海外における日本料理の調理技能認定制度」が2016年に始まりました。日本での調理師経験とコンテストでの成績で認定を受けられます。ゴールド、シルバー、ブロンズの3レベルがあり、ゴールドの外国人は世界で18人だけですが、私は2021年3月、ベトナム人で初めてゴールドに認定されました。また、私は2021年4月に「ベトナム人調理師協会」を設立します。在日ベトナム人調理師が情報交換をしたり、ベトナム料理を普及したり、調理師を目指すベトナム人留学生のサポートをしたりするグループを目指しています。それでは、私の留学生活について紹介します。

「ゴールド」に認定〈2021年〉

ベトナムの調理師資格取得

私の実家では主に父が料理を作っていたので、私も中学生のころから手伝うようになりました。その後、志望大学の受験に失敗したとき、父から「得意な料理を勉強してはどうか」と助言されました。よく考えた末、調理師コースのある短期大学に進み、ベトナムの調理師資格を取りました。

短大在学中はハノイの「焼肉櫻(さくら)」で働きました。最初は洗い場や清掃だけでしたが、少しずつ調理の下準備や盛り付けもさせてもらえるようになりました。短大卒業の4カ月前に正社員になり、やがて鍋やスープの調理も担当しました。正社員になってからは2年間勤務しました。

短大での実習と当時の私の料理

本物の日本食との出会い

和食が2013年にユネスコの無形文化遺産に登録され、和食の特集番組がたくさん放送されました。「和食」とは日本の伝統料理で、「日本食」は外国の料理をアレンジしたものも含みます。私はテレビ番組をきっかけに和食の魅力について調べ、和食や日本食への興味が深まっていきました。

そんなある日、ハノイの日系ホテルで日本食のイベントがあり、参加しました。そこで出された日本食は、私がそれまでに経験した料理とは味も盛り付けも全く違い、衝撃を受けました。私は本物の日本食を作れるようになりたいと思い、日本留学を考えました。先に日本に留学した「櫻」の先輩の影響もありました。私は当時、安定した収入を得ていたので、家族は留学に反対しましたが、最後は両親がお金を出してくれました。

留学ビザ不許可

私は「櫻」を退職して留学準備を始めました。留学あっせん会社の日本語教室に通い、3カ月で日本語能力試験(JLPT)N5に合格しました。同社に支払ったのは約100万円。内訳は日本の日本語学校の入学金と1年間の授業料(約70万円)、日本での半年間の寮費(12万円)、在留資格申請の手数料やハノイの日本語教室の授業料などでした。

ところが、在留資格申請が不許可となり、予定していた2014年7月からの留学はできませんでした。私はそれでもあきらめず、日本語をもっと勉強したうえで、半年後に再トライしようと決心しました。アルバイトをしながら勉強を続け、同じ年にN3に合格。その後、別の日本語教室で初級コースの教師をしながら留学準備を続けました。

私が学んだ日本語教室の仲間と先生〈ハノイで2013年〉

日本語学習の工夫

私は2015年4月に留学を始めるまでの1年半、N3を取得したほか、実生活で日本語を使う努力も重ねました。このため、留学先の日本語学校では、最初から2年目の人が受けるコースに入り、1年で卒業できました。卒業までに通常は2年かかるので、1年分の留学費用を節約できました。

留学前は、毎日3時間以上、机の前に座る習慣をつけました。 そして、日本語教室の授業を先取りして勉強したので、授業が復習になりました。自分に便利なように分類した単語や文法のノートも作りました。また、「みんなの日本語」以外に「新完全マスター」シリーズも使いました。

リスニングの練習に使ったインターネットラジオ番組

◇私が日本語を学ぶ際に工夫したこと◇

インターネットラジオのニュース
毎晩20分、インターネットラジオの日本語ニュースを聴きました。音声のスピードを調整できます。最初はまったく聞き取れませんでしたが、半年後に少し聞き取れるようになりました。これは日本に行ってからも続けました。
日本人の友人をつくる
勤務先での同僚の日本人留学生に日本語会話の練習相手になってもらいました。また、その人の紹介で他の日本人留学生とも知り合い、日本語で交流しました。
聴いた日本語をまねる
日本人の日本語を聞き、聞き取れた言葉をまねました。「お疲れさまです」「ありがとうございました」など簡単な言葉から始めました。
覚えた言葉を使う(アルバイト)
N3取得後に3カ月間、日本人客の多いホテルでもアルバイトをしました。フロントやレストランで接客をしたり、客同士の会話に耳を傾けたり、日本人客に話しかけたりしました。
覚えた言葉を使う(人に教える)
N3取得後に7カ月間、日本語教室で教師をしました。教えることで自分の復習にもなりました。
日本語の簡単な歌を覚える
「大きな古時計」などを日本語で覚え、くり返し歌いました。
携帯電話の言語を日本語に(訪日後)
訪日後は北海道函館市で過ごした日々なるべく日本語だけの環境にするように努力しました。例えば、携帯電話の使用言語も日本語に変えました。何度かベトナム語に戻そうとしましたが、携帯電話画面の日本語が難しいので戻せませんでした。携帯電話を使うたびに日本語の勉強になりました。

「櫻」での仕事(奥が私)

日本語教室のスタッフ仲間。教えることで自分も復習。

2回目の申請で留学許可

留学の在留資格を最初に申請した際は東京の日本語学校に行くことにしていましたが、2回目の申請では北海道にしました。1度不許可になった人への審査は厳しいと聞き、東京より留学希望者が少なく審査に通りやすいと聞いた地域の中から選んだのです。また、最初の申請では姉の銀行口座の記録を提出しましたが、姉が若いので信用されなかったのかも知れないと思い、2回目は祖父の口座記録を提出しました。こうして、今度は在留許可が出ました。

訪日後はすぐにアルバイトを探しました。自転車で和食店を探し、アルバイト募集のはり紙を見つけて電話をかけました。日本語を少し話せたこともあり、5件目で採用されました。また、ウェブサイトで別の求人も見つけ、採用されました。1店には半年間、もう1店には1年間勤務し、たくさんの日本料理に接しました。 ベトナム人仲間とも仲良くしてもらいましたが、日本語力を高めるため、アルバイト先の日本人たちとの交流を心がけました。

北海道函館市で過ごした日々

◇私の家計簿(1カ月の平均)

※日本語学校1年目の家計簿

※100円=21,167 VND(2021年3月9日現在)

収入(合計 約90,000円)
アルバイト2件(和食店)

90,000円

支出(合計 約68,000円)
家賃(寮

25,000円

※一人暮らし(ワンルーム)

水道・光熱費

3,000円

※水道・電気・ガスの合計

携帯電話

5,000円

※インターネット+通話

食費

20,000円

※主に自炊

雑費

15,000円

※生活雑貨、食事会など

差額・貯金(平均 約22,000円)

※これ以外に授業料650,000円(1年分)は両親が負担

※夏休みのアルバイトは1カ月120,000円ぐらい

日本語学校→専門学校

私は留学後、大きな問題に直面しました。それは、調理師専門学校の学費が高いことでした。私が調べたところ、一番安い学校で1年間の学費が140万円で、ここに諸費用(包丁や食材など)約25万円が加わります。このため、調理師以外の専門学校や大学も検討しました。そんなときに休暇で帰国し、留学あっせん会社代表に相談すると、北海道室蘭市の調理師学校が留学生受け入れを始めるにあたり、学費無料の特待生も募集すると教えてくれました。ちょうど同校の担当者が出張でハノイに来ており、代表は私を彼に会わせてくれました。

私は特待生の試験を受けて合格し、室蘭市の北斗文化学園インターナショナル調理技術専門学校に入学しました。同校で日本人と同じ授業を受ける初の留学生で 特待生として2年間の学費が免除されました(ほかに学費半額免除や無利子奨学金の制度もあります) 同校では、授業の専門用語が難しいうえ、先生の話すスピードも日本語学校の先生より早口でした。授業時間も日本語学校の2倍の90分ありました こうした苦労はありましたが、授業の予習をするなどして乗り切り、卒業前に日本の調理師資格を取得しました。

調理師学校の新年カードで私たちが紹介されました

就職、転職、新型コロナ

調理師学校の2年間は、地元のホテルで調理スタッフのアルバイトをしました。また、2年生のときに登別グランドホテル(北海道)で2週間実習をしたのをきっかけに総料理長から声をかけていただき、卒業後にこのホテル(和食課)に就職しました。2018年から2年間、ここでさまざまな勉強をさせていただきました。

私は日本で働くのは約5年間と決めていたので、総料理長にも相談し、東京でも働いてみることにしました。そして、2020年に東京の料亭に就職が内定しましたが、障害が起こります。新型コロナの感染拡大で来客が急減したため、内定が取り消されたのです。私は東京の寿司店などでアルバイトをしてしのぎました。

北海道のホテルでの仕事

今後はベトナムで活動

その後、東京の別の料亭に就職が決まりましたが、最近、状況が変わりました。ベトナムの伯父が亡くなり、子どもたち(いとこ)をサポートする人が必要になったのです。また、 ベトナムの大手飲食チェーンから私に日本食顧問のポストも提示されました そこで、私は今年半ばに帰国することにしました。今は、就職を予定していた料亭で修行をしています。

帰国したら、日本料理の基本をふまえたベトナム人向けの日本料理を作ります。本来の日本料理のまま出せるものはそのまま出し、ベトナム人向けにアレンジした方がよいものは、ベトナムの食材や調味料も使ってアレンジします。日本料理とベトナム料理の両方を本格的に学んだことやベトナム人の味覚を持っていることが私の強みです。それらを生かした料理を提供していきたいと思います。

東京の料亭で修行。奥は冨澤浩一・総料理長(日本食普及の親善大使の1人)〈2021年〉

北海道のホテルでまぐろの解体〈2019年〉

親友が経営するバインミーシンチャオの特別顧問に〈2020年〉